最近社内ではリブランド案件などが重なっていることもあり、
コンセプトなどの抽象的な議論がなされているのをよく耳にします。
価値の核みたいなものが産み出されている時間なんだろうなと感じながら、
ちょうど「ああ、そうだよなぁ」と思う一節を見かけたので紹介します。
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デザイナーといえば1日中絵を描いている商売だと思っている人が多いが、絵を描くよりも大事なのは、「言葉を通してコンセプトを選び出す」作業である。その意味では、議論のできない人はデザインができない。
(中略)
セルジオ氏は、絵を描く前に言葉でコンセプトを決めて、それから絵を描きなさいと指導してくれた。「強いコンセプトに基づいた印象的なキャッチフレーズがあれば、絵を見なくてもいいものになるに決まっている」と言っていた。
100年の価値をデザインする 奥山清行
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本の中ではイタリアでのデザイン観といった文脈だったのですが、
Mogicでのデザインの感覚とも近いものを感じます。
Mogic のデザインチームであるAD(アートディレクション)チームでも、
まずはコンセプトと簡単なイメージから作られます。
そこに対して他のメンバーがあれこれ意見を言い、その意見をADチームで取捨選択しながらコンセプトをさらに練りあげて、少しずつ具体的な画面イメージに落とし込んで、またみんなで意見して……と大体そんな調子が数ヶ月ほど続きます。
この議論の期間がとても長くて、実際に手を動かすいわゆるコーディングの時間よりも多くの労力をかけていると思われます。むしろコーディングまでくると「よかったあとは作るだけだ」となるくらいです。
社内がそんな調子なので特にADチームのメンバーは抽象的なイメージを言語化する力がすごく高いです。若手メンバーがクライアントさんにデザインを提案するときに、自分たちがデザインに込めたコンセプトをしっかりと説明している様子には感心させられます。
コンセプトの大切さは社内の共通認識としてあるため日常的に話されています。
反対にデザインの、そしてサービスのもつコンセプトが曖昧になることの危険性もよく指摘されます。(Mogicではサービスのアイデンティティがなくなるという表現を使います。)
究極的には「自分たちが今なぜこれを作るのか」という問いにもつながってきますが、
その答えに少しでも近づくべく今日も社内のどこかで
あーでもないこーでもないと議論する声が聞こえてきそうです。